そこで何があるのか?一瞬で理解することができるような独特なお線香の香りが、あたりに漂っています。
お坊さんが御経を読む低い声がおごそかに響き、しめやかに葬儀が行われている会場。
そこへ1人だけ他とは違う格好、パーカーにスウェット、スニーカーの人が来場してきました。
その人のことを、あなたはどう思いますか?
あなたがはじめての土地を訪れました。
目的地の近くだと思うのですが、正確な場所がいまひとつわかりません。
「誰かに聞かなきゃダメかな?」と思ったとき、ちょうどあの角から曲がってくる人が目に飛び込んできました。
「やった、ラッキー!!」と思ったのですが、だんだんと近づいてくるその人は、なんだか普通の人に見えません。
入れ墨が見えて肩を怒らせ歩く様は、まるで映画かゲームの世界のヤ○ザが目の前に現れたようです。
その人に道を、あなたは尋ねてみますか?
どちらも困った話ですね。
お葬式の場面では、その場に合ったTPOというものがあります。
いくらなんでも、常識から逸脱しすぎていますよね。
どんなに香典が入っていようとも、「この人はチョット……」という気持ちになってしまいます。
それを見ているほかの人たちも「この参列者は……」と思いますし、下手をすれば故人の「人付き合い」や「人となり」まで、よからぬ想像を掻き立てられることでしょう。
道を尋ねたいというお話も、困ったものです。
ただでさえ困っているところへ、あまりかかわりたくない人がやって来てしまいました。
話しかけてトラブルになっても嫌だし、このまま迷子でも困るし、ほかの人がすぐに通りかかるかもわからず、短い時間でいろいろな思いが忙しく回りそうです(笑)
さて、どうしてこんなたとえ話をしてみたのでしょうか?
それは、『私たちは見た目で判断している』ということを証明してみたのです。
私たちはさまざまな人と、かかわります。
街角、仕事先、知り合い、知り合いの知り合い、隣人、隣の席の人……
そうした人たちのことを、私たちはどう判断するのでしょうか?
向き合って、腹を割って話し込むこと、1時間。
結果、あなたはとても良い人ですからヨロシク!
残念だが、あなたは悪いヤツですのでご遠慮させてください。
……こんなことはしませんよね、絶対に。
中身がどんなにいい人でも、親しくなったら趣味の合う人でも、知れば知るほど気の合う人でも、はじめて見た姿が冒頭の2つのたとえのようにズレていたらどうでしょうか?
近づきたくないと思うし、「自分はあなたに、かかわりません」という判断をするはずです。
喉が渇いたとき、液体を一口飲んで味を調べてから「これが飲みたかったんだ!」という人はいません。
自動販売機やスーパーに並ぶ、ビールに炭酸、お茶にコーヒー、ジュースに水……
中身を味見することなく、そのラベルを見ることで判断しています。
冒頭のたとえの通り、相手を見た目で判断するということは同時に、「逆もまた真実」ということです。
『あなたも見た目で判断されているのです』
「私は大丈夫」「常識もあるし、普通のセンスもある」だから関係ない、と思われることも多いでしょう。
けれども落ち込んだり、思い悩んだりしたときは視野も狭くなり、悩みや考え事に集中して、ほかのことがおろそかになりがちです。
わずかな手間が抜けてしまうことも、ありますよね。
つい無精ひげで出掛ける。
ほつれた髪のままだった。
鼻毛が1本だけでていた。
こうしたことを誰かに指摘されるとか、あとで気づいたときの恥ずかしさや気まずさったらもう、何とも言えませんよね。
そのためには日頃から、「出掛ける前に鏡でパッとチェックする」という習慣を持つといいのではないかと思います。
困っているときに、さらに困らないように自分を守る。
こうした対策的な習慣を持つことも、大事なことだと思います。