先日はじめて入院したこと、これは最近の記事にある通りです。
はじめての体験とは、年を重ねると少なくなりますね。
けれども一方で、いまは技術の発展がものすごい時代ですから、その気になって望みさえすれば、たくさんの「初体験をする」こともできる時代かもしれません。
飯野の世代のことで言えば、ポケベルは高校の頃、携帯は大学生の頃、パソコンも大学生の頃、ネットで動画が見られるようになったのはいつ頃だったでしょうか?
この先も車の自動運転なんて、すぐに体験できそうですよね。
荷物もドローンで送ったり、送られたりする時代になるかもしれませんよ。
話がそれましたが、入院は初体験だったよ、ということでしたね。
高熱が続き頭痛もひどく、いつの間にか眠り、はっと頭の痛みで目覚め……
そんなことが続いていますから、考えることもあいまいです。
意識もとぎれとぎれで、一つのことを考えはじめても、まとまるまえに煙のように消えていってしまいます。
結局のところ「頭が痛い」「しんどい」ということに、まわり廻って戻ってしまうのです。
ほかのこと、たとえば日常の雑事や記事のことなどは、とてもつらい状況になってしまうと考えが回っていきません。
「頭が痛い」「しんどい」以外に考えにくくなってしまうのです。
入院して体験したことではありますが、これとおなじこととは飯野が、あなたが、誰かが、とても大変なときに起こることでもあると思うのです。
初体験ではあるものの、過去に似た体験があるような……
仕事がしんどくて、辞めたい。
でも、代わってくれる人がいない。
休みたいが、仕事が終わらない。
終わらないと、お客に迷惑がかかる。
だから休日に出勤する。
でも1つ区切りがつくたびに、そこへ仕事が入ってくる。
しんどい、辞めたい。
以下、ループしていく……
これは仕事を辞めたいという例ですが、( 飯野の過去の体験でもあります )場合によって、人によって、悩みによって、おなじことは十分に起こる可能性のあることでしょう。
いまの状況に飲み込まれたようになってしまって、先のこと、将来のことが見えなくて、考えられなくて、ただただ「逃げ出したい」という気持ちでいっぱいになってしまう。
いまのつらさやしんどさに、毎日さらされているけれど「どうしたらいいのかがわからない」という繰り返し……
今回の入院だったら、入院していますから、適切な治療が受けられます。
意識や考えがはっきりせず朦朧としていても、“1つの出口”に向かっていけるのです。
肺炎ですから、ひたすら点滴です。
朝、昼前、夕方、夜と検温してくれて、酸素濃度や血圧を測ってくれますし、「調子はどうですか?」と聞いてもらえます。
薬の効果を確認するために、レントゲンを何回か撮って、主治医がいまの治療でいいのかどうか?確認してくれます。
ただひたすら、つらくてしんどく、高熱や頭痛に苦しむような状況でも、サポートが受けられる状態なのです。
退院して、元気になって、日常生活に復帰して、健康に活動するという未来、目的に向かって、“少しずつでも進んでいる”のです。
でも、これは「調子が悪い」と自覚して、それについて「診察を受ける」ということがなければ、はじまらないのです。
ひたすら我慢して家で寝ているだけでは、いまの状況に飲み込まれたままで、誰のサポートも受けることもできません。
もちろんただ寝ているだけでも、いつか治ったことかもしれません。
どのくらいの時間がかかるのか?
悪化することもあるのではないか?
ということは、起こらなかった未来、選択しなかった将来ですので、わかりませんけれども……
もしあなたが、いまの状況に飲み込まれているとするならば、サポートを受けるための行動が必要なのではないでしょうか?
「いまのままを続ける」ということは「いまのままが続く」という可能性が一番高いはずです。
誰でもそうだと思いますが、上手くいっているならば、上手くいくやり方を変えようとはしませんよね。
良い結果が出るとわかっていますから、おなじやり方を続けるはずです。
だとすると悪い結果が出ているとき、どのようにすることが一番良いことなのでしょうか?
このままだと、おなじ悪い結果が出る。
でも、ひとりで考えてもどうにもならない。
そうであるならば、孤独ではない、サポートが受けられる方法が必要だと思うのです。